Black Beauty~Les Paul Customを弾くギタリスト〜その3:Eric Clapton

  1969年9月13日(土)、ジョン・レノンとオノヨーコを核とするプラスティック・オノ・バンドは、カナダはトロントのヴァーシティ・スタジアムで開催されたロックンロール・フェスティヴァルに出演します。

 この頃ビートルズは、ほぼ崩壊状態。この1969年正月から制作に取り掛かっていた「Let It Be」は、録っただけでダビングと編集でなんとか商品にできる状態にできるか、試行錯誤中。最終的にはフィル・スペクターに「丸投げ」されます。そして起死回生、リベンジを狙った実質上ビートルズの最後のアルバムとなる「Abbey Road」は発売を2週間後に控える、という微妙な時でした。

 話をトロントのフェスに戻しますと...開催者の趣旨は、この1969年、すっかり過去の遺物となってしまっていた50年代のロックンロールの創始者たちをリスペクトし、集まった若い観客に対し、その存在がまだまだ輝いていることを訴えたい、というもの。出演が決まっていたのは、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ボ・ディドリー、ジェリー・リー・ルイスなど。当初オノ・バンドが参加する予定はありませんでしたが、主催者がロンドン郊外のジョンの自宅にまさに「ダメ元」で直電したところ、たまたまジョンが電話に出てしまい、安請け合いで了解してしまったことがことの発端。オノ・バンドが出演するということで、出だしがパッとしなかったチケットはたちまち完売状態になります。

 さて、困ったのは、ビートルズとしては3年前にツアーを「勇退」していたジョン・レノン。さすがにビートルズとして出演することも一度はアタマに浮かんだものの、そのためにはポールに頭を下げなくてはいけない。そんなこと、できるわけがない。そんな事態で、まだソロ活動のためのバンドを持っていない。さて、どうしたものか...ジョンは我にかえって思案を始めました。

  まずハンブルグ時代からの友人で、マンフレッドマンなどで活動していたベーシストのクラウス・ブーアマンに参加をお願いします。次はこの頃、まだアマチュアで、後に70年代を代表するプログレシヴ・ロック・バンド「YES」に参加するドラマーのアラン・ホワイトに連絡したところ快諾。そして、クリーム解散後、スティーヴ・ウインウッドと「Blind Faith」でかろうじて活動していたエリック・クラプトンに電話をしたところ、全く繋がらず。予想どおり「オイシイケドイケナイモノ」を摂取していたクラプトンでしたが、やっと連絡がつき、「気が乗らないけど、まあいいよ」との返事をもらい、とにかく飛行機はロンドン・ヒースロー空港からトロントに向けて離陸します。あまりに急な話で、プライベート・ジェットをチャーターできなかったご一行は、通常旅客機に搭乗しますが、そこはクルーが気をつかってくれて、一般客はできるだけ前の方に移動してもらい、オノ・バンドの面々は最後部座席に陣取り、カーテンで間仕切り。そこでなんと、トロントで演奏する曲のリハーサルを始めます。あまりに時間が無いので、選ばれた曲は全員が知っているロックンロール、リズム&ブルースのヒットナンバー中心。結果トロントで演奏されたのは...

1. ブルー・スウェード・シューズ
2. マネー
3. ディジー・ミス・リジー
4. ヤー・ブルース
5. コールド・ターキー
6. ギブ・ピース・ア・チャンス(平和を我等に)

と、ヨーコの前衛的な2曲。

 ロックンロールのスタンダード的な曲と、・クラプトンの得意そうな曲中心ではありますが、「コールド・ターキー」関しては、初のお披露目であり、2週間後にはクラプトンを迎えての正式なレコーディングもおこなっており、この時期のジョンとヨーコの勢いを感じさせます。
 そして忘れてはいけないのが、このトロントでのクラプトンの愛器、レスポール・カスタム。ブラックの3ピックアップモデル。クリームのツアー時にバックステージで弾いている写真が少し残ってはいますが、このトロントがブラック・ビューティーのほぼデビューパフォーマンス。ピックアップカバーを外した「黒ボビン」のクールな1本です。プレイもリラックスした感じで素晴らしい!