1968年11月のロンドンはロイヤル・アルバート・ホールでの最終公演で解散したクリーム。ギタリストはもちろんエリック・クラプトンだったのですが、何十分にも及ぶインプロ合戦にほとほと疲れ切ったクラプトンは、親友ジョージ・ハリスンの家にあった1枚のアルバムを聴き、メカラウロコ状態になります。そのアルバムはザ・バンドのデビュー作「Music From Big Pink」。メンバー5人中4人までがカナダ人であるにもかかわらず、出てくる音はアメリカン・ルーツ・ミュージックそのもの。
1968年はレッド・ツェッペリンがデビューし、ロック音楽の音量が一気に上がった年でもありましたが、ザ・バンドの音楽は「もし僕らの音楽を聴いてくれるのなら、耳をよーくそばだてて聴いてくれるといいな」とでも言っているような、ある意味、内省的なもの。
そんな音楽に打ちのめされ、すっかりザ・バンド・モードに入っていたクラプトンは、翌1969年、天才少年と言われたスティーヴ・ウインウッドらとブラインド・フェイス(Blind Faith)を結成。スーパー・グループと言われたりスーパー・クリーム(クリームの発展形かよ)と冷やかされたりもした新バンドは、アルバムを発表し、アメリカ・ツアーも一応、成功はさせます。ただ、レパートリーがオリジナル曲だけでは持たないため、クリーム時代の曲や、ウィンウッドが在籍していたスペンサー・デイヴィス・グループ、トラフィックなどの曲も取り上げていたため、どうにも「間に合わせ感」は否めなく、クラプトンは消耗していきます。
さらに、このアメリカ・ツアーの前座にあてがわれた米国のリズム&ブルースを専らとする白人夫婦デュオ、デラニー&ボニー(Delaney & Bonnie – 今でいうとテデスキ・トラックス・バンドみたいな感じでしょうか)の音楽性に、ここでもクラプトンはアメリカン・ルーツ・ミュージックの奥深さと自分の未熟さを痛感します。そのデラニー&ボニーは、この年の秋以降、ヨーロッパを廻りますが、そこに参加したのは、クラプトン、そして、全編ではありませんが、ジョージ・ハリスンでした。
12月10日のデンマーク、コペンハーゲンでのステージ、ここでもクラプトンは3ピックアップのブラック・ビューティーを胸に、「泣き」どころか、すっかり解放されたような「喜び」に満ち溢れたブルースを聴かせてくれます。