1970年代後半のこと ~ Part-2 Bay City Rollers登場後

前回は主にスコットランドからやってきたBay City Rollers(ベイ・シティ・ローラーズ)ことを書いたのですが、1976年に初来日したローラーズに続いて1977年になるとそのフォロワーとなるバンドがいくつか続きました。ローラーズと同じスコットランドで結成されたDead End Kids(デッド・エンド・キッズ)、彼らの日本での最初のヒットは「Have I The Right」という曲で、これは60年代のHoneycombsというノース・ロンドンのバンドの1964年のヒット。つまりDead End Kidsがカバーしてヒットさせました。

ちなみにHoneyCombsはドラマーが女の子で、少しクールで可愛らしいイメージだったようです。

The Honeycombs

続くHello(ハロー)というバンドもUKから登場し、彼らのヒットは「Tell Him」というナンバー(リリースは1974年ですが、日本では1977年にヒット)で、オリジナルはThe Excitersという米国の女性3人、男性1人のポップ・コーラス・グループの1963年のヒット。やはりHelloもカバー作戦でブレイクしました。

Hello
The Exciters

そして1977年の春にマージー川を挟んでリヴァプールの対岸にある街、Wirral(ウィラル)からやって来たバンド、「Buster(バスター)」。

Buster

このBusterの、日本での最初のシングルは「Sunday(素敵なサンディ)」という曲で、メンバーのソングライティングによるオリジナル・ヒットだったと記憶しています。

バスターに関してはさらに思い出があります。当時、人気音楽番組であったNHKの「レッツゴー・ヤング」に出演したときのことです。時代はまだ「ザ・ベストテン」がスタートする前年。TBS系の「ザ・ベストテン」は最高視聴率が40%を越えていたそうですから、誰もが認めるモンスター番組でしたから、この1977年の時点ではNHKの「レッツゴー・ヤング」は音楽番組としてはかなり貴重な情報源でした(特に首都圏以外では)。特に来日中の英米のミュージシャンが出演するとなるとそれはもう「絶対に見逃してはいけない」もの。新聞の番宣をしっかりとチェックして、放送時間に臨みました。この時に印象深かったのは、バスターが「リップシンク〜くちパク」ではなかったこと。当時の海外からのアイドル系のロックバンドのTVパフォーマンスは「くちパク」が普通でしたから(前年末のベイ・シティ・ローラーズも「くちパク」でした)、これには「おっ!やるな!」と思いました。正直、オリジナル曲のパフォーマンスの記憶は残っていませんが、一度引っ込んでから、番組の後半は1950年代後半のロックンロールのセッションでした。司会者である作曲家の都倉俊一氏も黒のLes Paul Customを肩からぶら下げ、クールな演奏を聴かせてくれ、バスターのギタリストも同じくLes Paulでしたが、こちらはスモール・ハムバッカーだったのでおそらくLes Paul Deluxeだったと思います。彼らは「Johnny B. Goode」だったか「Carol」だったか、とにかくチャック・ベリーの曲を演奏しました。後に渋谷のアムリタ・ショップで中古盤の在庫の中にバスターのライヴ盤を見つけましたが、そのトラック・リストの中に「Rock And Roll Medley」みたいなものを見つけましたので、彼らは実力派のバンドだったのでしょう。

こうして1977年前半、短い期間ではありましたが、こうしてローラーズの後継バンドがブームとなりました。ロックの世界では、ビートルズがアメリカに上陸したことをきっかけに、Peter & Gordon, The Manfred Mann, The Animals, The Kinks, The Rolling Stonesなどが全米ナンバー1ヒットを次々と送り込んだ1964年からの数年を「British Invasion(英国からの侵略)」と呼び、Dire Straights, The Police, Culture Club, ABC, Wham!などが全米で大ブレイクした1982年からの数年を「Second British Invasion」と定義されていますが、この1976〜1977年もちょっとしたBritish Invasionだったのでは、と個人的には思っています。当時のロックファンは、1970年にThe Beatlesを失い、指標をも無くしていた時代。ハードロック、グラムロックのブームも一段落し、よりシンプルではあるが奥の深い「60年代前半のポップス黄金時代」への回帰を望んでいたことも嘘ではないと思います。

確かこの年、月刊明星の付録、いわゆる「歌本」で、こうしたバンドの特集が組まれていました。この頃になると、例の井上陽水の「心もよう」の載ったフォークギターの教則本はそっちのけで、この歌本に載ったコード譜を見て、片っ端からコードをかき鳴らしていました。ただ、安物のガット・ギターでは押さえるのが困難なコードもあり、「あ〜、エレキが欲しいなあ〜」という思いはつのるばかり。それと同時に、いろんなバンドのプロフィールを読むにつけ、「好きな音楽のジャンル」に「リズム・アンド・ブルース」という文字を見ることが多くなり、この「リズム・アンド・ブルース」という音楽がいったいどういうものなのか、気になるようにもなっていました。